現在 10件表示 
96790  

指揮者のためいき

ツリー表示  i-mode  検索    戻る


クイックアクセス

[35] 伝える   [34] 夏の終わり   [33] 宝塚   [32] 合唱祭   [31] 第6回演奏会終了   [30] ごめんなさい   [29] 春休み   [28] 取り組み方   [27] 涙の質   [26] 何を求めて・・・   


(2004/08/31 02:03:41 〜 2004/03/03 17:54:11)


  [35] 伝える 2004/08/31 02:03:41 

今年の夏は台風の当たり年ですね。そして明日は8月31日、夏休みの最後の日です。
健康診断でひっかかった「再検査」も、今年の夏こそは、と思っていた慢性の鼻づまりの治療も結局何もできなかったし、体力つけるために毎日、運動しようと決めたのに一日だけで終わったし、英会話もはじめるぞ!なんてそれこそ三日坊主を絵に描いたような有り様。こんな風に41歳の夏はやはり、少しむなしく過ぎ去っていきます。

そんな中でも一番時間を割いて取り組んだのは、楽譜を読むことでした。特に、8月21日の朱雀オケのブラ2の勉強に時間を使いました。
慣れていて読むのが早い人なら3日もあれば十分に読めるんだろうけれど、私の場合は能率も悪くって同じ箇所をぐるぐる戻っては進み・・・を繰り返してしまっていました。

それでも自分なりには十分な準備をして練習に臨んだつもりでしたが、合唱の練習とは少しだけ勝手が違って、練習そのものの組み立て方もイマイチ掴みきれないまま、シドロモドロ状態でした。「ソロパートの扱い方」や「体力的なことに対する配慮」がかけていることなどを指摘され、おまけに「言葉遣い」に対しても注意して欲しいとの意見があり、はっきり言って、ちょいとめげかけていました。
しかし冷静に考えれば当然のことばかりで、普段、合唱の練習の時にでも気をつけなければならないことだと気づかされました。

もともとこのオケは私が以前勤務していた県立平城高校の音楽部(弦楽部+吹奏楽部)の卒業生が発起人となって起こったグループです。その当時から県内の公立高校では唯一のオーケストラを持つクラブでしたので、私も定演ではオーケストラ(らしきもの)の指揮をしていた経験はありますが、厳密に言えばオケを振るのは今回が2回目。ま、そんなんでブラームスを振るっていうんだから、笑っちゃいますよね。

集まったメンバーは音大や学生オケで十分に経験を積んだ者が多く、それゆえに一回の練習にはそれなりの「クオリティー」を要求してきます。こちらも求める音のイメージは持っていますが、それをプレーヤーに伝える具体的な方法論を持っていません。これは、言葉の通じない相手と会話をしているのと同じ状態です。

想いだけでは伝わらない。それを伝えることのできる技術の必要性。しかしそれは、他の何も真似ない、他の力に頼らない、誠実な自分自身の言葉であるべきこと。
このことは例えば、密かに想いを寄せる人にその気持ちを届けることにも似ているかもしれません(いや、少し違うと思うけど)。
偶然作られたシチュエーションの中で、時には酒の力も借りながら(?)、真っ白な心で精一杯、真面目に伝えること・・・たとえ、ちょっとだけ不器用な言い方でも、それが相手に伝わるのは、伝えるための本能的な「テクニック」をきっと誰もが持っているから。

このオケに「次回」があるのかどうか、全くの未定ですが、少なくとも私はたくさんのものを学びました。単に「オケを振れる」ことの喜び(もちろんそれは子供の頃からの夢でしたが)では終われない「指揮」そのものの存在理由に気づいたことも大きな収穫でした。

練習の中で悩んだ、伝えることの難しさは、最終的には音楽そのものを、聴く人に届ける難しさにつながっていくんだろうけれど、そのことを忘れたり、避けたりしてはいけない。「アマチュアだから・・・」といういい訳ももちろん通じない。

「想いを伝えること」にこの夏、私はやはり思い悩みましたが、決して諦めたくない、と強く強く思いました。そして同時に「少しでも伝わっていれば・・・」と。
祈るような思いです。

  この記事は このアドレス で表示できます。


  [34] 夏の終わり 2004/08/25 02:28:12 

「今年は暑い夏になりそうだ」なんて思っていたら、甲子園は決勝も終わってしまっているし、オリンピックも佳境にはいってきたし、NHKコンクールの県大会はとっくに終わって、連盟の県コンクールも・・・いやあ、気がついたら夏も終わりや。

結構、中身の濃い、夏休みでした。7月の宝塚のフレンドシップコンサートから始まり、8月の頭には徳島で行われた全国高等学校総合文化祭への参加。そして、先日21日には朱雀シンフォニーオーケストラの演奏会・・・。
今は、何年か前までと違って、自分の勤務する学校の合唱部を指導してコンクールを目指すってことができていない状況なので、ステージが多ければ多いほど、勉強になるから、それはそれはありがたいことなのです。

普段から一般合唱団だけの指揮をしていると、どうしても自分自身が学ぶことのできない部分が出てきます。そういう意味で、高校生を指導することはものすごく勉強になります。
例えば、声の小さい生徒の声を出させる(ように私が必死でがんばる)こと。
また、歌おうという気持ちに(私が必死で)させること。

毎年、色んな声をもった生徒が入部してきますから、それぞれに応じたアドバイスが必要になります。そして音色を揃えるためのコツが必要になってきます。こちらの、要求を早く理解してもらうための「注文のつけかた」を工夫することも不可欠です。
その経験を積み重ねることで指導法の引き出しの数を増やすわけですが、生徒を部活動で指導しなくなると、その感覚が鈍ってくるのがわかります。

幸い、毎年の夏休み、県内のある高校の合唱部の練習に参加させて頂き、そこの顧問の先生と一緒に音楽作りに加わる機会を得ています。今年も、2つの学校の練習にお邪魔しました。私はもちろん生徒の名前も知らず、人間関係も出来上がっていませんから、とにかく理解しやすく、即効性のあるアドバイスがないと「このおっさん誰?」で終わってしまいます。だから必死になって、頭をフル回転させて、気持ちを引き付け、声を、音楽を引き出す努力をします。シェンヌの練習だけでは絶対学ぶことのできない、尊い経験がその中にはあります。

4年前から続けている「奈良県選抜女声合唱団」を率いて、今年も全総文祭に参加してきました。「選抜」というのは嘘です。実は「希望者」です。もっと言えば奈良県内の高校の合唱部に所属している「2年生全員」です。
なぜこの活動を始めたか、というのは、簡単に言えば低迷する奈良の合唱の息を吹き返すためです。ただ、その意図が参加する生徒に浸透するまでに4年かかりました。
しかし、今年の参加者は立派でした。自分の学校のクラブの練習もあるわけですから、両立することはとても負担になるはずです。しかし計6回の練習への出席率は96%を超え、十分な準備をしてから練習に臨む姿勢も見事でした。そして、各学校の顧問の先生方のご理解も・・・。

合唱は多くの場合、とても閉鎖性のある世界だと思います。「自分たちのスタイル」とか言いながら、結局は独りよがりな活動になりがちです。
「交流」することの大切さ。それは宝塚のコンサートでも、他の高校生との合唱経験でも、そして先日のオーケストラと合唱の共演でも、確かに感じ取りました。

私自信が勉強になっていると思うことは、単なる「指導法」なんかではなく、多くの「交わり」の中で生じる「小さな葛藤」がもたらしてくれる、「音楽の幅の広がり」なんだな、と気づきました。
忘れちゃいけないな、これ。

  この記事は このアドレス で表示できます。


  [33] 宝塚 2004/07/28 23:31:08 

宝塚国際室内合唱コンクールは毎年、このくそ暑い盛夏の中、行われています。
私たちが初めてコンクールに挑戦したのは今から16年前のこの宝塚でのコンクールでした。今から思えば何かの間違いだったのでは・・・と疑ってしまう奇跡的な予選通過は、しかし、もしかしたらシェンヌのその後を決定付けた、喜ぶべき大事件だったのかもしれません。

混声9名でルネサンスのシャンソンを4曲、怪しげなフランス語と、軽快さとは程遠い、引きずるようなテンポ感。今聞けば赤面ものです。
しかし、そのコンクールで聴いた、他団体の演奏の素晴らしいこと!海外から参加しているグループは言うに及ばず、国内の上位入賞団体は「室内合唱」の意味を十分に理解して演奏していました。

特に「京都アカデミー合唱団」は、早くからヨーロッパの響きに目覚めて本当に知的でお洒落でした。その後の解散は残念でしたが、目標の合唱団でした。
「合唱団MIWO」の鉄壁のアンサンブル、音楽的な説得力は聴くものを圧倒しました。永遠に手の届くことのない、憧れの合唱団です。
「ボーカルアンサンブルEST」は、独自の発声メソードによる豊かな響き量、特に女声は目を瞑って聴けば「どこの国の合唱団?」って聞きたくなります。練習にもお邪魔して、いろいろ勉強させていただきました。
近年では「合唱団まい」「アンサンブルVine」「なにコラ」・・・すばらしい。

そうすべて「いつかは私たちも・・・」と、そこを目指していたのです。そのそれぞれの団の指揮者、桑山先生、雨森先生、向井先生、そして(年下の)伊東先生が先週末、ベガホールに集結しました。「Friendship Concert in Vega」に出演されるために。
そして「私たちが同じステージで歌うことができるなんて・・・!」夢のような一日でした。(「あふみ」さんは指揮者なしでの演奏です)

コンクールとは違って存分に各団のカラーを出すことのできた、濃い〜ぃコンサートになったと思います。残念ながら座席数の都合で、お互いに本番の演奏は聴きあうことが出来ませんでしたが、前日と当日のリハーサル、ゲネを聴くことができました。
シェンヌの演奏?いやあ反省だらけです。ほかのグループとの違いはわかってはいるけれど、あんな風に比べて聴いてみると歴然としています。それが何かは・・・ここには恥ずかしくって書けません(笑)

来年からは隔年開催とのこと。永く関わっていたいと願う、そんな素敵なコンクールです。あ、もちろん本選に出場できれば、の話ですが・・・。

  この記事は このアドレス で表示できます。


  [32] 合唱祭 2004/06/29 22:25:01 

演奏会から2ヶ月。
学校は明日から期末考査です。1学期、長かったなあ。
久しぶりに余裕のない毎日でした。これからは少しずつ時間を作っていきたいな。

先週末は奈良県合唱祭でした。
今年から連盟の理事になり、舞台進行の仕事が与えられ、初めて舞台裏でほとんどすべての演奏を聴くことが出来ました。

一日目はお母さんコーラスでした。私も「アンサンブル・テルミナ」という女声合唱を指揮して演奏しました。このグループとしては初めて合唱祭賞を受賞しましたが、演奏そのものは不本意なものとなってしまいました。演奏中のちょっとしたアクシデントを私が巧くカバーすることが出来ず、そのあとも私の集中力が切れてしまいました。団員の皆さんに対してこれほど失礼なことはありません。ただただ反省です。でもきっと次回につなげますから、ね。
奈良は「お母さん」が活気があり44団体もの参加がありましたが、全部聞く中で、ちょっとイメージが変わりました。
とにかく皆さん、熱心です。指導者の方々もよく勉強されていて、とても熱のこもった演奏が続きました。もちろん、これが全国大会へつながるコンクールであることも、その理由かもしれませんが、あの情熱は見習うべきだと思います。
ゲストで演奏された大阪府立春日丘高校は自信に満ち溢れたパフォーマンスでお見事でした。

二日目は中学、高校、大学、一般の部。
日程の関係で中学校は試験前ということで参加校なし。残念なことです。
ジュニアの団体が全体的にまとまりもよくって、素晴らしかったと思います。最も印象に残ったのは 北大和高校コーラス部。以前にも触れたことがありますが、毎年のように顧問がかわられて、今年は講師の先生だと聞いています。とにかく声がナチュラルで透明感があり、高校生らしい爽やかさに溢れた感動的な歌声!ちょっと鍛えたら今までの奈良では聞けなかったようなレベルまで十分に持っていけそう・・・すごい。

シェンヌがまだOB合唱団と名乗っていた頃には合唱祭は唯一の演奏の機会でした。
初めての参加は創団1年目、私が大学2年生の6月でした。勢いで作った合唱団は、その求めるべき道を持たず、崩壊へのプロセスを繰り返すばかりで、当初思い描いていたような活動には程遠い状態でした。
今年で22回目の出場となりましたが、合唱祭は今でも、その年の合唱団の状態を教えてくれる大切な演奏の機会です。今回は今までより少しだけ落ち着いて、丁寧に演奏できたんじゃないかな。

  この記事は このアドレス で表示できます。


  [31] 第6回演奏会終了 2004/05/05 18:29:08 

連休のど真ん中。高知ではワークショップの真っ最中。
シェンヌの第6回演奏会は満席のお客様をお迎えし、何とか無事に演奏できました。
ご来場くださいました皆様、お手伝いいただいた方々には心からお礼を申し上げます。

会場として選んだ「秋篠音楽堂」は奈良北部にある県内唯一の音楽専用ホール。定員340席余りの小規模なキャパですが、室内楽等に適した音響設計でアンサンブルや室内合唱にはもってこいのホールです。
実は12年前に、シェンヌが初めてコンサートを開いたときもこの「秋篠音楽堂」でした。当時、完成したばかりのこのホールは、その規模にしては使用料も高額で「ピアノ教室の発表会などはお断り」のいわゆるちょっと敷居の高いホールでした。

合唱団創立10年目にして初めてのコンサートは、その頃のシェンヌには背伸びした選曲で、練習も随分しんどい思いをしましたが、自分たちの意思で作り上げるステージは、思った以上に楽しく、うれしく、そして感動的でした。
あ、そういえば気合入れすぎて作ったプログラムは一冊500円もかかった豪華版だったな。「これが最初で最後の演奏会かも・・・」なんて思っていたのかも知れません。

その後、第2回、3回は、同じ秋篠音楽堂でしたが内容的には決して満足のいくものではありませんでした。
「演奏会」として入場料も頂戴してお客様の前で演奏する行為は「発表会」とは明らかに違いがあるべきだと思います。しかしそれを分かっていながらも、ある程度高い目標を設定して、自分たちに「負荷」をかけることで得られるかもしれない「成果」に期待してしまいます。
ところが、実は私たちはその成果を、本番の演奏の出来不出来でしか判断できなかったのです。何という未熟さ。

去年、20周年の大きな演奏会を開いたばかりなので「今回は小規模で」と企画を始めたのですが、あれもこれも・・・と欲張る余りに結構ボリュームのある内容になってしまいました。特に最終ステージのヴィレットとバーバーは想像以上にきつかったです。
しかし、ひとりひとりのレベルは熟知しているつもりだし、練習を予定通りにきっちりこなしてくれたら、それなりの完成度で演奏できるという計算で選曲しているのです。でも結局は最後に追い込みをかけなければならなかった。その意味では「また今回も・・・」という気持ちで少し残念です。

はっきり言って私たちには(音楽的な意味での)信頼関係は成立していないかもしれません。でも私はメンバーに対する「期待感」を持っています。ひとりひとりが力を出し切れば必ず到達できるレベルをわたしはかなり具体的にイメージすることが出来ます。でもここでみんなの尻を叩いてしまうことを敢えて避けることにしています。

本番の結果だけでしか「今の状態」を判断できないような活動のあり方ではなく、日々の取り組みの積み重ねの末に「目指す目標」とイコールの「成果」がはっきりと予測できる営みであること。
それを実現するために今の私にできることは「待つこと」。
遠いけれど確かに「そこ」は見えているのです。

  この記事は このアドレス で表示できます。


  [30] ごめんなさい 2004/04/20 00:15:40 

20日も更新できない状態。
年度の最初はもちろん慌しいのだけれど
今年は、特別、落ち着きません。

今年は3年生の担任。それも原因。
そして2週間後には、演奏会。これももちろん。
8月の朱雀オケの演奏会に向けた練習が今週末からスタート。
そのための勉強・・・時間が全くとれず。苦戦。

とにかく月が替わって落ち着いたら書くことにします。

シェンヌの練習は今、緊張感がなくって困っています。
練習で久しぶりに、本当に何年かぶりにキレてしまいました。
求める次元が高すぎる?
いえいえ、そんなことは絶対ありません。
出来ると思うから、望むんです。

周りが羨ましがる力があるのに、それを出さない人。
器用すぎて、何の準備もなく練習に来る人。
ついてくるのが精一杯なのに、それでも楽観的な人。
こんな時期にでも時間にルーズな人。
楽譜を製本いていない人。(購入はしています)
それから・・・。

シェンヌでは今に始まったことじゃないけれど
早く、一緒に、同じ気持ちで音楽作りをしたいな。
こんなこと書いていますが、後ろ向きのつもりはないから。
いつかは、きっと、って信じていますから、ね。

おっと、もうこんな時間。
とにかく、演奏会まで。
時間ができたら、また現れます。

  この記事は このアドレス で表示できます。


  [29] 春休み 2004/04/01 13:54:32 

学校は春休み。
もちろんそれは生徒の話で教員は出勤です。しかしまあ生徒も来ないし休暇もとりやすいのを利用して、先週末、愛媛、松山に行ってきました。

JYC(ジャパンユース合唱団)の松山公演。それに向けての合宿練習を公開されるとのことで、とても興味を惹かれ、三日間の公開日の内、二日目、三日目を見学させていただきました。

そもそもWYCとAYCを経験したメンバーによって構成される合唱団だそうで、それぞれ個人のレベルは大変高く、高度な演奏技術を要求される曲もわずか三日で仕上げてしまうことにまず驚かされました。音楽大学出身者、合唱指揮者、作曲家、など内外で活躍する若い音楽家が中心になっていて、音楽的な知識の豊富さや発声技術の高いことはもちろんのこと、音楽作りにかける情熱も相当なもので、練習中も気づいたことをどんどん質問したりまた、自分の考えやアイデアを提案したりと、いわゆる「意識の高い」人の集まりであることにも感心しました。

松原千振先生、佐藤陽三先生のご指導はもちろん、その多くの時間を曲の骨組み作りに費やさざるを得ないわけですが、慌てる様子もなく、メンバーとのやり取りを繰り返し、非常に的確にポイントを押さえた練習の運び方で、実に無駄がありません。
それでも「あと一日あればなあ」と思う箇所もありましたが、そこは若くても経験豊富なメンバーのこと、27日の本番では危なげなく「無事」に演奏されました。

声のトーンはよく統一されているように聞こえましたが、実は微妙な主張のぶつかりが垣間見られて、ハラハラすることもありました(笑)もちろんアマチュア合唱の分類に入るんだろうとは思いますが、中身的にはプロフェッショナルに近いのかな。そのせいでしょうか、あれだけ長時間練習を見学させていただいたのに「しっくりこない」ものを感じてしまいました。
早い話が、「参考にならない」わけです。真似る事すら出来ない、我々の活動とは別次元のものなのです。

しかし彼らはあの合宿に向けてどれだけの準備をしてきたのでしょうか?
あのメンバーと歌いたい。あの緊張感の中で歌いたい。あの指揮で、密度の高い練習を・・・という強い思いから、彼らは集まってくるのでしょう。
求めるもの、欲するものがそこにあるから。プロもアマも関係ない、我々を自然と突き動かす基となるもの。決して真似る必要もない純粋な意識。

JYC HP[Click]

  この記事は このアドレス で表示できます。


  [28] 取り組み方 2004/03/19 00:03:53 

今日は奈良の県立高校の入試合格発表です。
ここしばらくは春の暖かさを感じていましたのに、今日は季節が少しだけ逆戻り。肌寒い中の発表となりました。
喜びの歓声が湧き上がったと思えば、その中を一人静かに背中を丸めて帰っていく姿もあります。中には早速、「茶髪」の指導を受けた合格者もいました。カメラつき携帯で記念写真を撮る姿もたくさん見られました。出来ることなら、この喜びをこれからの3年間、忘れないでほしいものです。

私が合唱を始めたのは、ちょうどこの頃。高校の入学式の日でした。
中学ではバレーボールと陸上に明け暮れ、自称「スポーツ少年」だった私は、高校では陸上部に入る気持ちでいました。当時、母校は陸上競技の名門校だったのです。確かに音楽には興味がありましたし、夢は音楽家になることでしたが、進学した橿原高校のコーラス部は「女声」だったし、吹奏楽部も弱小のクラブだと聞いていたので、迷わず運動部!とはりきって入学式を迎えました。

入学式も終わりに近づき、閉式の辞のあと、「校歌紹介」というのがあって、「誰が歌うんだろう?」とステージに注目していたら、「演奏は本校コーラス部です」と・・・。
で、登場したのは女声40名ほどの合唱団・・・あれれ?男がおるやないの。混声・・・?
そのあとは見事な?「斉唱」を聞かせてくれたのですが。
式が終わり昇降口を出ると、コーラス部の先輩方の姿がありました。私は横のグランドでの陸上部の練習に釘付け状態だったのですが、なぜかコーラス部の怪しげな(?)男子の先輩をつかまえて、「あのー・・・入部したいんですが・・・」と入部宣言しちゃいました。なぜ・・・?

いまだに理由は分かりません。陸上部の練習をじっくり見学し、しっかり考えてから部活動の選択をすればよかったのに。バレーボール部という選択肢もあったのに、です。

今では「ラッキーな選択」と思える出来事ですが、あの混声斉唱合唱団が、もし、女声合唱だったら、今頃、シェンヌは存在しなかったのかも・・・と考えると、ちょっと、怖い・・・。

初めての練習で「山のいぶき」を練習しました。あのハモった感覚は今でも忘れていません。
以前にも書きましたが、夢があるとか、目的が具体的だと、仮に失敗したり辛くなったとしても諦めることなく頑張り続けることができます。
私は多くのものを犠牲にしてでも合唱の活動を優先できます。だから団員にも出席率のことや練習に対する姿勢について厳しさを求めることが多くなってしまいます。しかし、実際問題としてすべての団員がそのように活動を続けることができるか?答えはもちろん、否、です。

それぞれの団員にそれぞれの生活があり、仕事があり、ほかの趣味もあります。家族があったり、恋人がいたり、ほかにも大切にしなければならないものが、たくさんあるはずです。つまり多くの場合は「合唱がすべて」なんてことはないわけです。
私は自分の取り組み方に自信を持っていますから、他人にも厳しくなってしまいます。しかし、どんな人にも、ちょっと気持ちが違うところに向いている場合があることを、理解したいと常々思っています。私の知る限り、この22年間、変わらずシェンヌのことを想い続けてくれたメンバーはいません。誰にだって気持ちが逸れてしまうことがあるんです。これは当たり前のこと。歌うことが辛いことだってきっとあるんだから。

辛いときや、しんどいときは、誰かがカバーすればいい。
弱音を吐いても許される雰囲気、それを受け止めることの出来る暖かさが欲しい。
でも、だから求めます。頑張れるときには頑張って欲しい、と。

誰一人、合唱のために生きてなんていないんだから。
ただ生きる喜びを感じ取りたくて、歌を歌うんですから・・・。

  この記事は このアドレス で表示できます。


  [27] 涙の質 2004/03/11 01:04:06 

最近、なんだか涙もろくなったと思います。
本を読んでも、悲しい出来事に接しても、ドラマを観ていても、その他日常の様々な場面の普通の出来事に「何かを感じて」自然と涙が出そうになることが、多くなってきました。
単に感激や感動や悲しみの涙とは何かが違う・・・なんだろう・・・?
と、考えていてふと思ったんです。
「そういえば、最近音楽聴いて感動しないなあ」・・・と。

先日(7日)放送の「N響アワー」は2月の定期公演からブラームスの交響曲1番でした。急遽、ピンチヒッターとして指揮台にあがった尾高忠明さんは、昔に比べてなにか随分と小さくなったように見えました。しかし実際にはどの程度の準備期間があったのか、わかりませんが、その指揮には無駄がなく、最初、ややオーケストラのほうが安全運転しているようにも感じましたが、指揮者のマジックのような牽引力で音楽が生命力をもって輝きはじめました。

「結構、いい演奏やん」と、4楽章が終わると、非常に納得させられた感があって思わず拍手していました。そこで画面は司会者の池辺先生と若村麻由美さんのコメントに切り替わったのですが・・・なんと、司会者である若村さんが泣き出したのです。
「とても感動した」らしくその後の司会原稿がはっきりと読めないくらい泣いているんです。

感動・・・涙?
物語のストーリーやその内容に感激して流す涙と違って、音楽、殊に予めよく知っている音楽を聴いて感動するっていうのは、その「演奏のあり方」と自分との関係の中で起こる感情なのだと思います。
「上手い」とか「すごい」とか、演奏の完成度やパワーに圧倒されたり、納得させられたりすることはよくありますが「感動できる演奏」に出会えるのは、実はものすごく稀なことなのかもしれません。

放送中の司会者の心の中にどのような「投影」があったのか、それは知る由もありませんが、少なくとも私が過去に「冷静な状態」で聴いた演奏に涙をながしたのは、たったの4回です。
13歳の時に初めて生のオーケストラを聴いたショルティ指揮シカゴ響のマーラー5番。ジェシーノーマンの歌ったラヴェルの歌曲。リヒテルの晩年に聞いたラフマニノフ。それと3年ほど前に聴いた全日本合唱コンクール一般Aの、ある女声合唱団の演奏。

感動の涙は無条件に流れます。頭の奥の奥のほうで言葉にならない言葉が叫ばれた直後に流れ出します。それはごく自然で、何の理由も必要としません。

必要なのはニュートラルな心のあり方。その意味では私の最近の音楽に対する接し方は間違っているのかもしれません。頭で考えすぎているのだと思います。
ですから司会者が流した涙は、今の私にはちょっとショックではありましたが、逆にすごく素敵に映りました。

ではアマチュア演奏家の立場としては・・・?
誰かに涙を流してもらえるような演奏は限りなく不可能に近いですが、我々の持つ「心の質」が最終的に音楽の質を決定付けるということを忘れてはならないと思います。そしてそれは、最低限必要とするものでありながら、同時に求めるべき理想でもあります。
「究極の基本」とでもいうべきものなのでしょうか・・・。

  この記事は このアドレス で表示できます。


  [26] 何を求めて・・・ 2004/03/03 17:54:11 

先週土曜日の練習にお客様がいらっしゃいました。何日か前に私宛にメールがきて、シェンヌの過去の演奏についての問い合わせがあって、そのやり取りの中で「一度見学に・・・」ということで、わざわざ名古屋から(三重かな?)来て下さいました。私が「いつでもどうぞ」とメールで返信した、5時間後にひょっこり現れたので、ちょっとびっくりしましたけれど。

その彼、名古屋のN大学のY君はメールでの文章が丁寧でとても常識的(実はこのことはめずらしいことです)。「好感度高いよね」とうちの副団長とも話していたのですが、直接話してみても真摯で純粋な青年でした。手土産まで持ってきてくれて、思わず練習後の秘密の飲み会(?)に誘っちゃいました。お酒にも強くって二重マル。卒業後は是非シェンヌに来てくださいね。お待ちしています。

この日の練習は、午後からの櫻鳴合唱団との合わせ練習に引き続いてせっかく男声が揃っているから、ということで夕方2時間弱の男声の補習から始まりました。
はっきり言って、ちょっとショックを受けてしまいました。年末から比べると確実にレベルダウンしています。読譜力が弱いとか、器用さがないとか、以前から抱えている弱点に加えてひどく声が荒れている状態。潤いがないというのか脂が乗っていないというのか、とにかく自分の持っている声、持ち声だけで勝負している感じなんです。ここ2年ほどの間に丁寧に積み上げてきたものが、ちょっと形を崩しかけています。どうしよう・・・。

2年前におふざけでシェンヌの男声メンバーだけの合唱団「OAKシンガーズ」を結成しました。と言いましても年間のうち春から夏までの限定的な活動で、一年目は宝塚のコンクール、2年目の去年は県の合唱祭にそれぞれ参加しました。「女声がいてくれないと何も出来ない」現実を心の底から実感し、それでも「はずかしい演奏はできないから」と、文句を言いながらも量でカバーする練習をこなし、なんとか本番のステージに立つことができました。

宝塚での入賞も、合唱祭での合唱祭賞も「なんでや?」と思うほど酷い演奏でしたので、男声のレベルを思い知らされる以外に収穫はなかったように思っていましたが、実は少しは得るものがあったみたいなんです。
ソルフェージュ不足を解消するように努力し一定の成果を得たこと。女声がいてくれないことで「バレてしまう」響きのむらを整える声作りに徹したこと。そして男声だけでも音楽的に歌えることを実証したいと曲作りに妥協しなかったこと。

きっかけは遊び半分、練習嫌いが嫌々始めた取り組みでしたが、本人たちも気付かないうちにちゃんと肥やしになっていたみたいなんです。当然のことながら混声の活動へのフィードバックも認められましたし、「男声も頑張るやん」と女声陣からの評価もあがりました。
しかし残念ながらこの合唱団は解散・・・。シェンヌと違って、メンバーだけで企画運営していくスタイルで、それこそ主体的な意欲のみが活動をささえていただけに、この男声が出した結論を私はどのように受け取ったらいいのか・・・。

シェンヌ自体の活動は、今年に入ってからの練習への出席率や、練習中の雰囲気などを見る限り充実したものになってきています。結構「いいペース」なんです。しかしそんな状態にあるときだからこそ出来ること、しなければならないことがあるんです。
シェンヌの諸君に聞きたい。「あなたがたの意欲はどこに向いているのですか?」

  この記事は このアドレス で表示できます。




 
CoolNote2 Ver 3.3