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指揮者のためいき

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(2004/02/23 16:30:33 〜 2003/12/22 16:50:04)


  [25] 欠けているもの 2004/02/23 16:30:33 

先週末の練習は出席率悪かったねえ。15人もいなかったんじゃない?このところずっと九割近い出席率だったから特に少なく感じたのかなあ・・・。

冬は風邪をひいてお休みする人が多くなります。体調悪いんだから仕方がないんでしょうが、誰一人欠けてもバランス崩れるんだから・・・ね。オーケストラだったらオーボエがいない、とかティンパニが欠席だとかいうととても練習しづらいでしょ?合唱は4パートしかないから「自分ひとりくらい・・・」って感じで考えがちですよね。でも違うよ。責任は等しくあるんですよ。30分の1だから・・・位に思っている人は、その働きもきっとその程度。「絶対に休めない!」と思って頑張っている人もいるんだから、「風邪ひいても来い!」なんていわないけど「風邪ひかないようにしてね」とお願いしたい気持ちです。みんな必要なんだから・・・とにかく早く体調戻してください。

さて昨年の全国コンクールのCD「ハーモニーの祭典」(だったっけ?)が、やっと送られてきました。今年は課題曲の演奏も収録されていてラッキー。当日聴くことの出来なかったAグループ前半の演奏も含めてじっくり聴いてみました。
やはり録音で聴くと、実際ホールで聴くのと随分違った印象。録音レベルが多分一定じゃないみたいで人数からくる厚みや広がりが感じ取りにくいかな?いや、べつにシェンヌの声が思っていたより小さいからそんなこと言ってるんではないですよ、ねえ?(って誰に聞いてんね!?)

最初の会津混声は骨格がしっかりしている安定感抜群の演奏。特に男声。あれ何?すっげーいい声。うらやましいな・・・。自由曲はかっこよすぎ。
鈴優会の自由曲「どちりなきりしたん」はシェンヌも去年の定演で歌いました。
16人の演奏ということで「どんなんだろう?」と楽しみに聴きました。出だしは「少し暗い?」と思いましたが、音色は見事に統一されていますよね。一人一人の声も立派なんだろうけど、まとまりで聞かせる声作りが徹底されていてとても好きです。音楽も自在。人数にあった小回りの効く演奏。見習わなければ。

で、シェンヌは・・・一言でいえば「軟弱」。ちっちゃいこと気にしすぎ。
3列目はひよこ?以上。

コンクール的な演奏、ってあるけど、シェンヌはそんな感じですね。傷が少ないことが完成度の高さではないんです。今回のESTや会津混声、徳島合唱団なんかみたいに合唱がちゃんと「伝える手段」になっていて、心に「届く」演奏でなければならないですね。そういえば去年のガウディだって、それ以前にもJuriだって、MIWOだって、もちろんBグループならば今年の大久保、なにコラだって・・・挙げればきりがないけど、コンクールで上位に入る演奏ってみんなそうなんですよね。実際、シェンヌの生の演奏を聞くことはできないけど、これは比較の問題ではなく純粋に音楽の「質」としてどんな風に聴き手に伝わっているんだろう?CDを聴いて少し不安になりました。まだまだ・・・だよね。

話は変わりますが「世界合唱シンポジウム」の国内の演奏団体決まりましたね。すごい顔ぶれ。ご近所ではESTさん、なにコラさん、もちろんエコーさん。国際舞台の経験も豊富な正に日本を代表する一流ぞろい。演奏の質のみならず、合唱団としてのあり方の質が一流、国際的なんでしょうね。シェンヌは応募することすらできなかったけど、いつかは海外進出してみたいなあ。

夢のまた夢・・・。

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  [24] 連合音楽会を終えて 2004/02/16 17:32:22 

昨日行われた「連合音楽会」では、高校生たちのいい演奏がたくさん聴けました。
吹奏楽も5校参加していましたが部員数の少ない学校も響きや音程を丁寧に扱っていて好感をもてました。また逆に人数の多い学校はしっかり息の入った充実のサウンドで楽しめました。
他にピアノの独奏やバイオリン、打楽器ソロの演奏、そして独唱もありましたがどれも高校生としては大変立派な演奏でした。

「しかし自分があの年齢の頃には一体どんな風に歌えていたんだろう・・・」と考え込んでしまいました。私も教員18年目ですが、生徒たちの声はこの20年近くで随分変化してきているように感じます。まず音程が良くなってきていること。私たちが学生だった頃は「音に声を合わせられない」生徒(特に変声期後の男子生徒)がたくさんいたように記憶していますが、ここ10年でそのような生徒はほとんど姿を消しています。カラオケの普及によるものなのでしょうか・・・。
それから男子の声が以前より高くなり、女子生徒の声が低くなっている傾向にあると思います。特に男子ではテノールばかりでバスを歌える生徒がほとんどいません。女子は多分、日頃聴いている音楽が女性歌手の地声(的)発声によるものが多く、その影響を強く受けているのではないかと思います。

そういえばシェンヌにもベースの新しいメンバーが増えないなあ。バリトン、ハイバリトンは結構いるんだけどローベースがいないんだよなあ。

昨日の音楽会に参加した合唱部は7校。おそらく現在活動している県内の全ての学校なのだと思います。一番部員の少ない学校で7名。一番多いところで30名ほど。奈良県は残念ながら全国で最も高校生の合唱人口が少ない県だと思います。県内の大学の数も極めて少ないので、所謂「合唱人」がなかなか育ちません。どうしても近隣の京都、大阪に人材が流れてしまう傾向にあるようです。しかしそれを食い止めるためにも学校教育の担うべき責任は大きいと思います。合唱(に限らず音楽全般も)の魅力を教え伝えることの必要性。

しかし、そんな高校生の前で昨日はシェンヌが演奏する機会を得ました。私たちの演奏が生徒たちに与えるものは何もありません。が、彼らが何かを感じてくれる可能性はあります。合唱の分野ではやや活気に欠ける奈良ですが、そこで学ぶ子供たちの感性は他となんら変わるわけではありません。「出会い」や「気付き」がないだけなのです。

音楽会の一番最後に私たちは歌いましたが、そのひとつ前に演奏した「北大和高校」の演奏はとても心のある素敵な演奏で感激いたしました。顧問の先生は着任2年目ですが部員の気持ちを見事に惹きつけ、本当に素敵な合唱部に育てられました。日頃の活動の苦労なんかは外からは見えないものですが、先生と生徒たちの心のつながりが聞いている者にも感じられ、幸福感を与えられました。
これも合唱の魅力。合唱が人に、地域に根付く一番大きな力・・・。きっと。

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  [23] 教え 2004/02/07 10:26:05 

「そうそう、確かこんなだったなあ」
11年ぶりに見た父の合唱指導。何よりもフレーズ感を大切に扱い、特にフレーズの最後の処理は丁寧すぎて拍が伸びてしまいそう・・・でもそれを不自然に聞こえさせない絶妙の間合い。なつかしいよりもむしろ新鮮にさえ聞こえます。

大和高田市で活動している女声合唱団「櫻鳴」が開く3月の演奏会で、混声のステージをプログラムに入れたい、という要請でシェンヌの男声メンバーが賛助出演することになりました。その一回目の練習が先日行われました。指揮は私の父です。

私の父は今年71歳。11年前まで奈良県の南部、吉野郡にある下市中学で30数年にわたり音楽教諭として合唱部を指導してきました。NHKコンクールで奈良県代表になること33回。全国大会にも2度、駒を進めました。また連盟のコンクールに中学の部門が加わった初めての年に全国の舞台を踏んでいます。

私がシェンヌを立ち上げた頃、つまり大学生になったあたりから夏休みになると毎日のように下市中学に通い、コーラス部の練習を見学していました。当時はまだ私自身が何も分かっていませんでしたから、その声の艶やかさと中学生離れした声量、声の深みなどにただただ圧倒されるばかりでした。

やがて私も親父を目標に(ここの記憶が判然としないのですが)高校の音楽教師になりましたが、この頃になると親父は練習中に私に意見を求めるようになりました。最初は的外れなことを言っていたのだろうと思いますが、次第に私の考えやアイデアが演奏に反映されるようになり、まるで二人の共同作業で音楽作りをしているような気持ちになっていたのを記憶しています。

しかし今思えば、あれは親父の無言の教え。
「技術は見て盗め」
きっとそんな考えがあったのだと思います。

今でも「お前の音楽は味がないな」とよく言われてしまいます。
でもそれは親父の「味付けたっぷり」の音楽に必死で逆らっていたのかもしれません。

「早く自分の味を出せよ」
11年ぶりに見た、合唱指導をする親父の背中は、やはり無言で私に教えてくれました。

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  [22] 熟する 2004/02/02 16:08:02 

先週は火曜日から金曜まで修学旅行で北海道に行ってきました。ニセコ東山スキー場でのスキー実習。いやあ噂には聞いていましたが、もう最高っ!私にとっては5年ぶりのスキーでしたが「もしかして以前より上手くなったんちゃうの?」と勘違いしてしまうほど滑りやすい!おまけにお天気にも恵まれて上からの眺めはこれまた最高!あーまた行きたいな・・・今度は生徒がいないほうがいいけどなあ。
しかし、生徒たちは驚くほど早く滑りが上達します。きっちりと基本から教えてもらうことが大切なんでしょうね。

旅行から帰ってくると家では息子がバイオリンの練習をしていました。もう4年近く習っているのになかなか思うように上達しません。ちょうど出発する前夜に新しい曲に取りかかったばかりで、音程もリズムもボーイングもむちゃくちゃで、「しばらくは一人で練習しないといけないけど、大丈夫?」と聞くと「無理、絶対無理」と答えていました。

ところが帰宅した日に練習している様子を聴いていると、なぜか弾けているんです。でもいつもどおりの練習しかしていなかったと言っているしなあ。不思議。
しかし考えてみたらこんなことはよくあることだな、と気づきました。その時は技術的に出来ないことや完全には理解できていないことが、しばらく時間をおくと出来るようになっているということ。
そう言えば中高生にクラブ活動で音楽を教えていても、こちらが気づかないうちに出来るようになっていることがよくあります。
でも何故でしょうか?理由はわかりませんが、きっとそれは、「若いから」・・・かな。ちょうどカレーは一晩寝かせたらおいしくなるっていうのに似ていますよね?(え?ちょっと違う?)

「身につく」という言葉は「習得」することを意味しますが、若い人たちにとっては食べたものが知らないうちに自分の血や肉になっていくのと同じように、技術や知識や感性はきっかけさえ与えられれば日に日に成長を続けていくものなのですね。

しかし筋肉が落ち、それが贅肉に取って代わられ、血液がドロドロになるような年齢になると、そんな「不思議な現象」はもう起こってくれません。
「それ、先週も注意したでしょ!」「同じ事ばかり言わせないで!」
身につくことはおろか、「維持」することさえままならない状態。
あとは、せめて「保つ」意識が必要です。保つための手段はもちろん『練習』です。

「私たちには若い人たちには出せない味があるのよ」それもわかります。しかしそれは年齢を重ねればついてくる「おまけ」のようなものです。努力しなくても身につくものなのです。
若い人が毎日の積み重ねを大切に努力しているのに、若くない私たち(そうでない人にはごめんなさい)が、週一回だけ楽譜を開いていて、それでいいものなのかどうか・・・。

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  [21] つるつる 2004/01/24 01:39:54 

今朝、目覚めると外は真っ白!いつもより早く起きて急いで用意をしました。雪が降るとは聞いていなかったから少し慌てましたが、まずは車に積もった雪(5cm)をおろして早めに車内の温度を上げてっと・・・。

昨年度まで勤務していた学校が山の学校だったので、冬はスタッドレスタイヤが常識になっていました。ちょうど一年前に新しいスタッドレスに履き替えたばかりだし。まだタイヤの溝は深い・・・あれ?・・・浅いやん。ツルツルやん。やっぱ、一年間履き替えなかったらアカんみたいやね(当たり前!)ブレーキ踏むごとにキュッキュキュッキュすべりまくり。いつもは30分で着くところが80分もかかりました。肝冷やしたなあ(汗)。

運転中は肩に力が入るから音楽でも聴きながらと思い、カーステレオのスイッチを入れました。今、入っているCDはブラームス。2番のシンフォニーです。
今年8月に予定しているオーケストラとの演奏会の曲目がほぼ決まりました。合唱が付くのはメンデルスゾーンの「Lauda Sion」、それとメインの曲がブラ2。そう、ドイツものを2曲並べた選曲です。うーん確かに不安。いや、かなり不安。

今年のコンクールの課題曲はメンデルスゾーンを選択する可能性もあるし、思い切って今年はドイツ音楽に取り組む年にしちゃえ!とばかりに5月の定演でもドイツの合唱曲を取り上げることにしました。アマチュア合唱の世界では古典〜ドイツロマン派の扱いは極めて慎重ですよね。「素人が手を出しちゃいけない」的なイメージが強くて、よほど良い演奏をしない限り評価してもらえないのかも知れません。

しかしアマオケの世界は違います。技術的に可能ならばOK!なんですね。さすがにモーツァルトは敬遠されますが、マーラーだってもちろん候補に挙がってきますから・・・。例えば吹奏楽では中高生のバンドでもR.シュトラウスのアレンジものを見事に演奏したりしますが、いやー果たしてどちらが健全(?)なんでしょうかねえ。

学生時代はオペラアリアよりは、むしろドイツリートに重点を置いて勉強しましたが、見えてくるのは、それはいわゆる「はったり」の効かない音楽だということです。
感情よりも精神性の表現。深い支えの上に成り立つ確実に制御された声、表現の多様性に応える音色。音楽の構築性。そして人間性・・・。

もちろん合唱でも同じことだと思います。全体の流れに「合わせる」だけの存在は、その必要性がなくなります。必要なのは「個」としての主体的な存在。そしてアマチュアとして何よりも必要なのが、それらを求めようとする強い探究心と精神力。
あのー念のためにシェンヌのみなさんに付け加えますが、これはドイツロマン派に限ったことではないからね。ただそこにエッセンスが隠されているだけのことです。じっくり時間をかけて取り組んでみましょうね。きっと新しい世界が見えてくるはず・・・。

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  [20] ハーモニー 2004/01/16 22:49:44 

ハーモニー冬号が送られてきていたのに、パート練習に顔を出さなかったから結局手に入らなかった・・・とぼやいていたら昨夜Zoliさん(HP管理人)が、わざわざ家まで持ってきてくれました。(ZoliさんThanks!)
早速パラパラページをめくっていくと・・・お、載ってる載ってる。写真が。ぷっ!すごい顔や(誰がや)。写真から歓声が聞こえてきそうなほどリアルな写真(?)やなあ。

コンクールに対する考え方は色々あるんだろうけれど、こんな年齢になってガッツポーズができるなんて、しかも恥ずかしげもなく出来てしまうなんて、確かに見た目には良くないけど、でもちょっと素敵な瞬間・・・ですよね。

さて審査員座談会。中学から一般Bまで全部一気に読みましたが・・・これだけ観点にばらつきがあるんだから、審査結果がバラバラなのも納得できますねえ?これだと審査員が変われば結果も絶対に変わるんだろうな。

でも、だから意味があるのかな、と思います。音楽に対する「優劣」は、結局のところそれぞれの「好み」なんだから、審査員の評価やその講評の内容の「ばらつき」は、私たちの演奏のあらゆる長所短所を様々な角度から照らし出してくれます。気づかなかったことを気づかせてくれたり、良いと思い込んでいることが実はそうではなかったり・・・と普段自分たちだけで歌っていると見えない、聴こえないものが、ある評価をきっかけに浮き彫りになってくることだってあります。「井の中の蛙」ではいたくないから、敢えてコンクールに「評価」を求めにいくんですよね。

しかし逆にあまりにも評価に頼りすぎて、多くのものを身に付けようとしすぎると合唱団の「個性」が埋没してしまうことになります。少しぐらい「嫌われる」ものがあってもいいんじゃないのかな、と思ったりもします。言い訳っぽいけど、ね。

シェンヌの演奏に対する礒山先生と高橋先生からのご指摘は、「響きの重さ」と「優等生的な演奏」の二点でした。響きの重さについては過去にも当間先生からご注意いただいて、ここ2年ほど徹底的に改造(?)してきたつもりですが、まだまだ克服できていないんですね・・・そういう意味では多少ショックですが、しかしありがたいご指摘です。このことで今後の練習のあり方も変わってきます。
優等生的・・・という点については、わたしもずっと気になっていることで、まさしく我々がいま一番重要な課題と捉えていることですよね。こればかりは一人ひとりの意識の問題でもあります。「合わせる」ことから「発する」ことへの転換。まだまだ課題は山積です。

「なぜ何十人もの声を合わせる必要があるのか」(権代先生)
合唱としての表現のあり方。それを考え、求めていく中で、目の前の課題を克服していけるヒントを見つけていきたいですね。

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  [19] 記憶の奥に・・・ 2004/01/13 21:06:26 

今年は毎月のように本番があってすごく楽しみ。
その最初のステージが来月15日に入っています。高校生の前で歌うんですよ。「奈良県高等学校連合音楽会」っていう音楽会の「ゲスト演奏」をすることになっています。これは高文連のようにクラブ活動の集まりではなくって、音楽の教師で組織される「音楽教育研究会」が主催して、それぞれの学校の生徒による様々な形の「音楽」を持ち寄って発表する音楽会です。もちろんクラブ活動の発表もOKで、吹奏楽、合唱、独唱,独奏、アンサンブル、日本音楽・・・と本当に何でもありの文字通り「音楽会」なのです。

思い返せば、24年前、郡山高校の講堂を会場に開かれた「連合音楽会」で私は指揮者デビューを果たしたのでありました。そう、確か高校2年の春だったと思います。曲は・・・えーっと、ん?何だったかな?多分「海鳥の詩」だと思うんだけど・・・「エトピリカ」を強烈に速いテンポで演奏した記憶が残っていますから・・・。

当時、我が母校、県立橿原高校コーラス部は混声で40〜50人ほどの部員が在籍していました。混声で活動していたのは私が入部していた3年間だけで、その後また女声に戻ってしまいました(この頃の橿原高校の合唱はとても充実していました)。演奏会はできなかったのでコンクール中心の活動でしたから、歌った曲にも少し偏りがあるかもしれません。高田三郎全盛の頃でしたね。
この頃はどこの学校も部員数が多く、今でこそ活気のないこの奈良県でもほとんどが混声で、コンクールにもフルメンバーで出場していたんじゃないかな。

朝練もないのに7時すぎから登校してピアノを弾いたり、昼の練習をしないときも、弁当持参で音楽室に集合。考査前の活動禁止期間も音楽室に集まってこっそり練習していました。ハマっていました。完全に合唱に浸かっていました。

全日本のコンクールを聞きに行きたくてもそれは叶わず、やむなくコンクールの演奏録音、LPレコードを買い、これまた当時発売されたばかりの初代ウォークマンでテープが伸びきるまで聴いていた記憶があります。山形西の白鳥、会津高校のゆうやけの歌、福島高校のタリスのエレミアの哀歌・・・耳が覚えてる、というよりあの震えるような感動を全身で記憶しています。
今でもたくさん音楽を聴きますが、あんな聴き方はもう二度とできないですね。しかし、あの頃聞いた音が、今も膨らみつつある私の合唱への想いの「核」になっていることは間違いありません。

「連合音楽会」は教師になってからも毎年、生徒を指揮したり、裏方として運営したりしていますが、そこには、コンクールにはない特別の感情があります。私が声楽を学びながらも結局は指揮を選んだのも、そして何よりも当時の仲間と20余年合唱を続けてこれたのも、あの時のあの体験があったからからだと思うんです。

今度の演奏はわずか10分間ですが、落ち着いて、丁寧に演奏したいです。少なくともあの「エトピリカ」の失敗だけは繰り返すわけにはいきませんから。

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  [18] 謹賀新年(遅いって・・・) 2004/01/07 19:35:42 

少し遅くなりましたが・・・
明けましておめでとうございます。

で、奈良は今日が始業式です。以前は確か8日だったはずなのにいつから7日になったのでしたっけ?私は4日から風邪をひいたみたいで今日も体調が戻りません。しかしまあ、これは病ではなく「正月ボケ」ですわな。誰に聞いてもそう言われます。はい。

シェンヌは昨日が事実上の練習始めでした。アルトとテナーがパート練習していたはず(?)です。それで明日がソプラノとバス、で、土曜日が今年最初のアンサンブルの練習日となります。
火曜木曜が任意のパート練習日、土曜日が全パートのアンサンブル日。この形が良いのか悪いのか、賛否意見の分かれるところです。火、木曜についてはパート内で個人の都合に合わせ、日を調整して練習日を決めるので、出席率は固定した場合より上がるはず・・・と思って始めたんですが、現実は・・・厳しいですね。

以前にも少し触れましたが、私たちの活動の核を成すのは「練習」です。練習の充実度がそのまま活動の充実につながります。だから練習は楽しくあるべきです。少なくとも私にとってはそれはとても楽しい時間です。
もちろん最終的には本番で良い演奏をすればいいわけだし、練習だって本番直前が際立って充実していれば特に支障はないんです。でも「結局土曜日に合わせる時にしっかり歌えたらいいんでしょ?パート練習?自分で読めるから大丈夫、大丈夫・・・」なんて空気が流れていると、ちょっと不安かな。

仕事で出席できない人、子供がまだ小さくて夜、外出しづらい人。遠方から通っている人・・・なんかは平日の夜は、はっきり言ってしんどいよね。それは十分に理解しています。だから逆に時間的にハンディのある人はコツコツ努力型が多いですよね。シェンヌにも「すごいな」って思う団員、いますよ。でも・・・逆に、練習に来てほとんど「口パク」の人、ほとんど音取りできていないのに合わせに来る人が、もしもいたとしたら「楽しい?」って聞きたいです。

小さな子供のピアノのお稽古でも、家で毎日おさらいをして週一回のレッスンを受けるはずです。そうしないと上手にならないし、月謝と時間の無駄だってことぐらい、音楽のことをよく知らないお母さんにも分かるんです。私たちの合唱の活動がこれと同じ次元で考えられるのか断言しづらいところではありますが、少なくとも貴重な時間を割いて歌いに来てくれている仲間に対して失礼です。練習中の細かな指示を楽譜いっぱいに書き込んで、何とか演奏に反映させようと頑張ってくれている人の努力が無駄になるかもしれません。

断っておきますが、これはあくまでも個人の意識の問題です。様々な事情、制約・・・そんなもの全てひっくるめて「シェンヌの音楽とどう向き合っていくか?」を問うているのです。「もっと練習しろ」とか「出席しなさい」なんて言うのは意味がないんです。だって練習は楽しいはずですから。

発展途上の演奏団体として、差し当たり今年の目標は、「練習を大切にしよう」かな?(そのまんまやん)でも結構これが難しいんですよね、きっと。

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  [17] 大晦日 2003/12/31 19:28:08 

選曲は・・・ああ、やっと決まりました。おかげさまで。

しかし濃い一年でした。
3月の20周年演奏会、そこで本山先生に振っていただいたこと。「どちりなきりしたん」を通して千原先生にアドバイスを頂戴したこと、それを初演されたFMCの高野先生にお出会いできたこと・・・人との出会い、楽曲との出会い。感動的でした。

6月には鳴門の大塚美術館のシスティーナホールでのコンサートに参加させていただきました。メンバーとのバス小旅行、楽しかったです。

7月は宝塚国際室内合唱コンクール。2つのカテゴリーに本選出場しながら不本意な演奏でした。上位入賞したグループとの存在感の違い・・・歴然。

10,11月は連盟のコンクール。20年を省みてこれからを考える、よい機会となりました。

今夜、大晦日はシェンヌのメンバー(若和尚)宅で除夜の鐘を撞く会があります。ああ、もちろんお寺なんですよ。その後引き続いて新年会をします。今年で3年目かな。
 そこで、また今年(正確には来年)はどんな一年にしたいか・・・なんかについて話すんだろうなあ。そんなことを繰り返しながら続いてきた私たちの活動は来年で22年目を迎えます。

とにかく最近は一年があっという間に過ぎて行きますが(あ、もちろん私の中では、です)40歳になって、その一年一年がとても重みを増してきました。一つひとつのステージを大切にするのはもちろんのこと、毎回の練習を大切に、さらには自分の生き方についても・・・。

今年もたくさんの方々にお世話になりました。本当にありがとうございました。
来年が全ての人にとって平和な一年でありますように・・・

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  [16] 終業式 2003/12/22 16:50:04 

もう冬至だというのに、今が冬の中だとは思えない・・・暖冬、そして今日は終業式。生徒たちは冬休みの計画をあちこちで話しています。「すき焼きパーティー!」の声に、話の輪に入ると「オレはネギと糸蒟蒻、それから、えーっと・・・お、先生は松坂牛とたらばガニと松茸な、頼んだで」って、おいおい、それはないやろー。お前らとなんか食いたくねえよー!そんなことより選曲よ、選曲。

以前にも書きましたが、来年の計画は上がってきているのに曲が決まらないんです。やっぱりこれはステージ数が増えすぎなのかなあ。なんだろう、今までのようには簡単に決められないんだよなあ。

来年7月に予定されている宝塚でのジョイントコンサート(タイトルは未定)の打ち合わせ会が先日行われましたが、いやあ、さすがに全国レベルの合唱団の代表ばかりでいらっしゃいます。明確なビジョンと膨大なノウハウに裏打ちされた建設的な発想の数々。シェンヌから出向いた3名はあんぐり口を開けて、ただ目の前で展開されている議論を眺めている(?)だけの状態。レ、レベルが違いすぎる!いやあ困ったわ、マジで困った。どうしよう・・・別に安易に考えていたわけではないのですが、何かが違う、っていうか足りない気がします。経験?自信?意識の差?・・・実力・・・か?

まあ、声をかけてもらえるだけでもありがたい、もったいない話なんですけれど、今はとにかく、この何かわからない(実はよく分かっている)違いや差を埋めるために、シェンヌの採るべき姿勢を明確にした年間ビジョンを提示しなくてはなりません。

選曲を含めた活動方針は、ただ単に「××月に演奏会をします」という行事予定を示すだけのものでは不十分です。少なくとも3〜5年後のあるべき(ありたいとする)姿、状態を現実的に見据えて、一年一年の活動が我々をどのように変化させてくれるのかを吟味し、加えてメンバーの意識が、それらを消化していくのに十分に備わっているか、また自ら変化したいと強く望んでいるかを絶えず確認し、問うていく必要があります。

だからどうしても年内に、私なりの考えをまとめてしまわなければならないのです。そうなると選曲が・・・ちょっと予定が変わってきちゃったんです。

シェンヌにとってのビジョンは・・・それはまだシェンヌから外に向くことはありません。まだまだ足場を固めることで精一杯なんです。何年か後に「私たちは何故歌うのか?」と方向を見失わないためにも、「今をがむしゃらに走り続ける」ということだけは避けなければならないのです。

今日の夕方になって、欠席した生徒からメールが入って「今日の終業式わすれてた・・・で、次はいつ?」と惚けたことを仰る。「ばかモン!7日や!」と返信したら「わかったー、来年は頑張るし・・・」と。
卒業や進学、就職に向けた彼ら彼女たちの努力は続きます。挫折しそうなときには「目標を持たないと誰だって頑張れないんだよ」と言葉をかけます。

目標か・・・。

「よっしゃ!分かった。先生も、頑張るぞ」とメールを返しました。

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