(続き)
一応、ステージに出て行くときには馬刺しのことも忘れていた。(当たり前か) 興奮気味のテンションがお腹の深いところにスーッと落ち着いていくのがわかる。 メンバーの表情には・・・なーーんの変化もなし。 「よしこれなら大丈夫」、と確信した(笑) 演奏が始まった。 あぁ気持ちいい時間! ミスを恐れず音楽を引き出すことに集中できることの幸せ!自由曲のクライマックスまでほとんどイメージ通りに歌えた。 「結果ではなく、演奏の出来に納得できる歌を歌おう」と本心から確認しあえることの出来た今回のコンクール。 演奏が終わり、舞台上手から退場した瞬間、目頭が熱くなった。込み上げる気持ちを抑えることができない。
「なんだろう?この感覚は・・・」
十数年前、全国のコンクールで京都エコーが歌う「地上の平和」を聴いた。 意味はよく知らなかったけれど、鋭い刃物でえぐられるような、血が吹き出るような、痛さすら感じるリアリティ溢れる音像と、またそれと見事に「対比」された平和の鐘のモチーフ。 それらが京都エコーの強力な音圧と相まって、感動してしばらくその場を動けなかった。 早速楽譜を購入。もちろんシェンヌが歌うわけではない。楽譜がどんな風に書かれているのかを見てみたかったのだ。
平和な時代の訪れをまだ若いシェーンベルクが信じて書いた作品。 調性が完全に崩壊する以前のもので、平和を象徴するニ長調へ結びつくそのクライマックスは実に感動的である
「一生、死ぬまでこんな曲は歌えないな」 心に温め続けることすらもできない曲。 ・・・だから封印しました。
確かに、ひとつの「理想」や「あこがれ」だったのかもしれません。 無理だとわかりつつも「いつかはそこにたどり着きたい」想いがあったのだと思います。 演奏を終え、写真撮影に向かう途中でたくさんの方々にお声をかけていただきました。 感激でいっぱいで、おそらく写真に写った私の目は真っ赤になっているはずです。
しかし今思えばこの感激は「成し遂げた」達成感に対してのものなのではなく、「シェーンベルクの音楽」に対する「感動」そのものなのだ・・・と思います。
そして今年も思うのです。「歌い続けてきてよかった」って。
あーそれにしても打ち上げて食った馬刺しのウマかったこと。 食べた瞬間に「うまっ!」て同時にあちこちのテーブルから聞こえた。 熊本に来る前から考えていて、このタイミングを待っていたらしい・・・。 あー情けない。と鼻で笑う女声陣・・・。
しかし、この対比もまた味わいがあるのです。。。
お疲れ様。
(続く、かも。)
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