[44] 信じる 2005/06/20 17:16:58 

先月末の演奏会が終わったら更新しようと思っていましたが、結局今日まで先送る形になってしまいました。一昨日、昨日は奈良県合唱祭でした。裏方の仕事もあって、3団体の指揮をして、打ち上げでしっかり飲んで、二次会でまたしっかり飲んで、鱈腹食べて・・・で、月曜日はもちろん仕事で、何だかとってもしんどいなあ、と思ったら、今日の気温は30度を越えていました。あっと言う間に季節は夏・・・ですな。

先月末の演奏会は、結局心配していたことが演奏上のキズとなって現れてしまいました。しかも一番安心し切っていた女声合唱の演奏で、です。原因を探ればもちろんそれは様々な要素が一度に起こったわけでしょうが、直接的な原因は当日のリハーサルで私がその曲の通しを割愛したことだと思います。
「油断」したんです、私が。きっと。責任を感じてくれている女声メンバーには本当に申し訳ないことをしました。団員に向けてはすでに私の気持ちは話してありますが、やっぱり本番での演奏の「責任者」は指揮者なんです。

「シェンヌは本番に強い」・・・と、よく言われます。そして私たちも何だかそんな気がしていました。実際コンクールなんかでも練習の何倍も良かったことは何度もあるし、演奏会でもミスの少ない状態が続いていました。「8割方、練習で出来ていたらのこり2割は本番の・・・」なんて事は思ってなかったと思いますが、それでもそんなことを信じる空気があったことも確かなんです。
本番の適度な緊張感が演奏への集中度を高める、とか、ホールの音響の中で互いの音が明確に聞こえてくる、とかという、演奏する者なら誰もが感じるような理由はあっても、それ以外に「本番に強い」理由が見つからない。いや見つかるわけがないのです。

演奏上のミスはそのほとんどが技術的なもののはずです。確かな技術の裏付けの上でのみ、安心でき、安定感のある豊かな音楽が表現し得るはずです。磨き続けなければならない「技術」と「音楽」。活動の目指すべきその両輪のバランスが崩れ始めていることに気付かされました。
楽譜が読めない、ソルフェージュ力が未熟な団員が何人もいるんだからそれは当然のことなのに、目前に迫る本番を次々にこなしながら、しかも限られた練習時間で音楽的な内容の練習を求めてしまう中で、それは見失われていたのかもしれません。あ、いいえ、見失っていたのはトレーナーとしての私です。
反省・・・。

仕事が忙しくって練習に集まれないような状況が続く中、歌う喜びのその裏側にある、演奏や活動に対する「不安」を抱えながら私たちは歌い続けています。互いを信じ、目指すべき、形のないものをともに信じ、そしてそれらを練習の中のわずかな瞬間に見出そうと必死に探しているのもまた現実です。そんな「不安」からほんの僅かな時間でも開放されたいと思う、そんな心の間隙に生まれたのが
「シェンヌは本番に強いから・・・」
という根拠のない、ただの迷信・・・だったのです。

で、思ったんです、私たちに「安心」できる気持ちなど生まれるはずがない、と。
しかし不安を恐れず果敢に音楽に挑む姿勢は求め続けたいと、も・・・。

わたしは、それでも信じてついてきてくれる仲間のありがたさが痛いほど身にしみて、だから私も(奇麗事でなく)彼らを信じなければ、と強く心に思いました。

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