[39] 今だからこそ 2004/11/16 16:15:40 

難しいなあ。簡単に歌える曲なんてないのは分かっていても。
「秋の歌」、手ごわいよな、おまえ。

関西コンクールのあと、もう一段階、演奏の精度を上げようとワイシャツの「皺を伸ばす」ような作業を繰り返していると、その部分はきれいに伸びても、別の部分にまた皺ができる。
歌い手の歌う技術と、指揮者のバランス感覚が重要なのは分かっていても、それは一朝一夕には解決しない問題。
堪り兼ねて、先日、私の尊敬する先生にレッスンしていただく機会を得ました。
いやー、素晴らしかった!目の前でどんどん音と言葉を関連付けながら整理されていき、音楽が見る見る、生き生きと輝き始めました。
だってさ、歌っている連中の目が違うんだもん。あんな風に喰らいつくような目で歌っている姿、オレは見たことないぞー!しかも、ちょっと、目、潤んでたりするし・・・。
そう、この落差がつらい。確かに辛い。でも、その辛さは私にとっては絶好のチャンス。アドバイスの全てを自分の中に取り込んで、それを理解し咀嚼をして自分の(音楽)言語に変換する作業を通して、ようやく自分たちの演奏を客観的に見る準備が出来る。そのポイントを団員と共有することで、新鮮さをもって再スタートできるのです。
本当に勉強になりました。ありがとうございました。

さて、今週末は松山でコンクールです。今となっては全てを出し切ることしかできません。練習で120%を経験していたら、もしかしたら本番に100点の演奏が出来るかもしれないけれど、練習のベストが80なら、本番で望めるのは60点・・・。それを、どのように自分たちが受け止めるべきかを、前回の練習後に全員で確認しました。
「ベストの演奏」・・・確かに曖昧な言葉です。気分じゃだめ。客観的にそれを判断できなければ。

2週間前、全国コンクールの高校の部は、やはりすばらしい演奏の連続でした。しかし、自分の聴き方が変わったのかも知れないですが、感動がなかったんです。
「す、すごい!」とは思うんだけど、それで終わっちゃう。ああ、もう昔のような聴き方は出来なくなったのかなあ。

Aグループのトップバッターは岐阜高校。これにはびっくりしました。高校Aの混声で、あれだけのクオリティーの演奏って、これまでになかったんじゃないかなあ。文句なしの一位だったと思います。
淀工も見事な演奏でした。人数がもう少しいたらもっとよかっただろうなあ。言葉の扱いは確かに素晴らしく何度聞いてもびっくりします。しかし言葉が音楽を超えた(?)ような感覚に陥り、「もっと声が聴きたい」と思ってしまいました。もちろん、それでも金賞は間違いない、と確信したのですが・・・。

Bグループは、もうお腹いっぱい(笑)
中でも浦和第一がすてきでした。私の中では一番、感動性のある演奏に思えました。訓練されていることを感じさせない、伸びやかな響き。言葉が生み出すナチュラルなフレージング。聴く者に安心感を与えるような、女声のみが放ち得る母性的な優しい音色。
聴く行為そのものが、耳や頭を介していることを忘れることのできる演奏って、やっぱり理想的ですよね。

コンクールを目前に控えて、団員の意識や、団の目指すもの、団のもつ欠点なんかが良く見えてきて、その度に、今の現状に不安を感じ「どうしよう?」と焦りをおぼえる。
コンクールを、自分たちが成長するためのものであると位置づけるとすれば、まさに今、その感じているものこそを、団員と共有し、共に悩み、考えていきたい。いや、そうしなければ意味がない・・・と冷静な自分が私の中でつぶやくのです。

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