[37] 残念だなあ 2004/09/27 23:16:12 

まずは残念なご報告から。以前にここ([Click])にも書いたことがありますが、シェンヌの母体である橿原高校の30周年記念式典での演奏が、諸事情により実現しませんでした(涙)
理由は学校側とシェンヌ側の単なる意思のすれ違いだったと分かったのですが、準備を進めていただけに本当に残念です。しかし橿原高校の担当の先生はすれ違いを嘆き、残念がってその経緯を誠意を持って説明してくださいました。でも、いいえ、私たちは怒ってるんじゃないんです。本当に残念だったのです。それだけなのです。
「次の機会には是非演奏してください」の言葉をいただきました。
「ええ、もちろんですとも!」

さて、関西コンクールまで残りわずか2週間となりました。仕上がりは・・・。
案の定、最悪です。ある程度予想はしていましたが、やはり現実のものとなってしまいました。「多分、後にも先にも一度きりのシードなんだから」と繰り返して話はしていましたが、気持ちが充実しているとはとても言えない状態です。
そんな中、先週の連休を利用して7年ぶりの合宿をしました。・・・男声だけの合宿です。同じ時間だけ練習しても合宿だと能率があがりますね。気分だけかもしれないけれど、不思議です。夜の研修会?は1時までのお約束が結局4時までに延長されて翌日はフラフラでの練習となりました。

しかし、合宿ってやはり夜も全員揃わないと意味がないんだろうなあ。都合で練習だけに参加するってパターンはもちろん「あり」なんだけど、今の団の状態とか、みんなが考えてることって、練習以外の部分でしか見えないこともあるしね。それぞれの生活があってひとつの予定に合わせることは大変だけど、次回はみんなで揃いたいね。

先日、新しい仲間が入団してきました。シェンヌでは年に2〜3人入ればいいところかな。しかし、そうかと思えば比較的新しいメンバーが二人去っていきました。事情は様々。
こんなことを幾度となく繰り返し繰り返し・・・。表面にいる今のメンバーだけを見れば、絶えず新しいものだけがそこにある新陳代謝のようにも見えますが、実質的にはそれは堆積していて、今あるものはその表層なのだと思います。
「今」を過去(歴史)が支えているということ。
30年前に産声をあげた高校の合唱部が年月を重ねて、今のシェンヌがあります。その重層の中にあるもの−夢や思い−は不変です。

どんな結果や実績があっても何も変わらないシェンヌが大好きです。しかし、今見えていることだけを追い求め、いやそれに追われて、それぞれの大切な時間が目の前を通り過ぎていくような状況を、私たちの営みの表層に重ねていってもよいのでしょうか?

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