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指揮者のためいき

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(2006/01/27 17:18:45 〜 2005/08/19 16:15:34)


  [55] 演奏すること 2006/01/27 17:18:45 

今年最初のステージは高校生の音楽会でのゲスト演奏。
2年前にも一度お招きいただいて演奏しました。
最近でこそウチの演奏会で高校生の姿を見かけるようになりましたが、それでもコンクール、合唱祭などで中高生がわれわれの演奏を耳にする機会はほとんどないわけで。
「中高生だけを対象にした演奏会ってのは、どう?」って提案したことがあったけど、
「もともと来ない層をターゲットにしても、結局ガラガラでしょ?」ってもっともなこと言われたな、たしか。
「認知度が低いのも事実だけど、結局中身じゃないのかなあ」
いやあ、そうだよね。確かにそうだ。

5月の定期の演奏会の選曲は何とか年を越さずに決めることができましたが、
「うちのばーちゃんが聞いても楽しめる(解る)選曲もしてほしい」との希望にどのように応えようか悩みました。「水のいのち」や「大地讃頌」ですら知らない人は、それを知っている人の何倍もいるわけで、自らチケットを手に入れて、遠くからでも聴きに来てくださる合唱好きの方で客席の半分も埋まるような合唱団ではない私たちは、それではいったいどのような「聴き手」をイメージして演奏会を開くんだろうか?

コンクールでは「自分たちらしい」得意な曲を選曲することができます。もちろんさまざまなコンクール評や感想を見ると「パフォーマンスとしての演奏」とか「現代曲に偏りすぎ」というような意見も多くあるわけで、一概に何を歌ってもいいってことはないのかもしれないですが、それでも少なくとも「誰にでも楽しめる」選曲をする必要はないのです。

しかし家族総出は当たり前、知人には頭を下げて「今度おごるから」とか言って、半分強引に、時には脅しもしながら「客席を埋める」ことに必死にならなければならない「演奏会」で、ごく少数のマニア(響きが悪いですが・・・)の方だけが喜ぶような選曲をしていたら、そりゃ苦痛ですよね。
そういえばテナーのO君のお父上が初めての演奏会に山奥から出てこられて、2時間の演奏を聞き終えたあとに、「おれは二度と来ない!」と吐き捨てて帰られた、ということがあったなあ。同じような曲が続いたように感じて辛かったようです。

こちらはステージで渾身の思いで演奏して、時には感極まってウルウルしてるときだってあるのに、客席では「早く終われ!」なんて思ってるんだとしたら・・・。

・・で、結局自分の中ではまだ悩んでいるわけで。
でも、どのような考え方にしても「自己満足」にだけはなっちゃいかんのはもちろんだけれど、演奏会で「何を歌うか」を考える以前に「なぜ歌うか」をもっと真剣に考えなければ演奏会そのものの意義が薄らいでしまう。

高校生の前で演奏できるチャンス。ぜひ活かしたいと思います。

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  [54] 謹賀新年 2006/01/05 03:03:04 

新年おめでとうございます。
予報がはずれて比較的おだやかな(奈良では)お正月でしたね。
昨年は一年間で10回の本番があったようで、振り返って考えるとよく歌ったものだなあ、と驚いてしまいます。歌う機会を与えていただいていることに感謝すると同時に、ちょっと許容量を越えてしまってはいないのか点検する必要もありそうです。

コンクールのあとは12月に入ってから3つのクリスマスコンサートがありました。
いつもの教会でのものに加えて、同じ日の1時間半後に県西部の葛城市でのコンサート。そして1週間後にはアコーディオン奏者のかとうかなこさんのクリスマスコンサートへのゲスト出演。

かとうさんのコンサートでは3曲歌っただけですが、アコーディオンとギターが伴奏に入るって経験はもちろんないわけで、当日のステージでのリハーサルで2,3回合わせながら作っていく感じはちょっとプロっぽくてかっこよかったです。

うれしかったのは、それらどの本番でもほぼ全員で歌うことができたこと。
今までだったら、コンクールが終わったら一年が終わったみたいな空気になって(しまう人がいて)、すっかりシーズンオフの中での本番って感じが強かったんですが、今年は違ったなあ。かとうさんのコンサートなんか24日の夕方が本番で「おまえら誰も予定ないんかい?」って冗談では言ってましたが、本当はみんな都合をつけて歌いに来てくれたんだよな。その日の打ち上げを兼ねた忘年会は、なんだかとてもあったかい雰囲気でとても楽しかった・・・。で、うれしかった。

こんな状態をキープしたいな、って思うんだけど、また練習が始まれば今までと同じことを繰り返すんだろうな。レベルの差、意識の差・・・。
これだけ演奏の機会が増えると年間にこなす曲数も相当な数になります。パート間の進度差は広がるばかりで「待つ」ことが多くなってしまうパートが我慢できなくなる時が何度もあります。そういう時の練習の運びをもう少し私が柔軟にすればいいのだということは頭では分かっていますが、どうしても妥協して次に進めないのです。ごめんなさいね。

でも、できることなら、
歩くのが遅い弟を、お姉ちゃんが振り返って「もーっ!」と言いながら待ってあげている、というような愛ある関係であればいいな・・・。
が、しかし
弟は足が痛くても、泣きながらでも、走っていってお姉ちゃんの手を摑まえるのです。そうしないと家にたどり着けないから・・・。

「待ってくれている」「必ずここに追いついてくる」という互いの信頼と安心感。

練習の能率の悪い私が言うのは筋が違うかもしれないし、甘っちょろい考え方かもしれませんが、そんな空気を作れなくなったら何かがだめになるような気がするんです。
だから今感じることの出来る雰囲気を大切にしたい。

でも・・・そのことにいつまでも甘えていることが最大の罪であることはいうまでもありません。泣きながらでもいいから追いつくように走れ。まだ振り向いてまってくれている間に・・・。

いい一年にしよう。すべての演奏に責任を持って、主体的に歌う気持ちを身につけよう。
そして何よりも平和な一年でありますように。

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  [53] 全日本合唱コンクール その3 2005/11/25 22:13:14 

で、新潟のコンクールに戻ります。
出番の関係で19日に聴けたのは大学では我らが地元「奈良女子大」だけ。一般Aでは最初のマルベリーと最後二つのフィオーリ、ESTでした。
大学の演奏はいつも事前の練習時間と重なりますので聴くことができませんが、今回は地元の大学がトリで出場することもあり、時間を繰り上げて聴くことができました。
結果から言うと銅賞だったようですが、指揮者はしなやかな指揮ぶりで自然な流れを作ることに成功していましたね。ソプラノの音程が上から圧迫される感じがあり少し不安定なところはありました。また全体的に支えが不十分なのかな?あと一歩の説得力が欲しかったかな。しかし全体的に清楚な感じで音色の統一感は抜群(私好みの声です。。)。これからの可能性を十分に感じることのできる演奏でした。

さて一般です。トップバッターのマルベリークワイヤーはシード団体。課題曲はやや速めの演奏であの曲のまとわりつくような重さを打ち消していたように思いました。自由曲の選曲のセンスはさすが!見習わなければ・・・。しかし1番目の団体の宿命、会場全体の落ち着きのなさが演奏者に多少なりとも影響を与えたような印象がありました。もっと安定した音を持っている団体だと思うので惜しい気がしました。

その後は拘束時間となり、ほとんどすべての演奏が聴けませんでした。これはとても残念なことです。その間に更衣を終えリハーサル室に向かいましたが、半円形のひな壇では並ぶ間隔のイメージを持てず、バランスよく並べることに時間を使いすぎました。結果、声を出す時間がわずかとなって、いざ通して歌ってみると地に足の着かない男声がブラームスでは半音近くも下がってしまいました。いつもならあせって繰り返しピッチの確認をするところですが、今回はグッと我慢をしました。本番では問題ないと信じたからです(汗!)

あれだけ練習したんだから。と思えるには相当な練習量を積んでいる必要があると思いますが、結局はどれだけメンバーを信じることができるか、ということに尽きると思います。
本番ではある程度納得の演奏ができました。ホールの響きの素晴らしさももちろん影響したと思います。豊かなホールトーンを感じながら歌うことの喜びは何者にも代えがたく、練習し尽くしたことを信じて、目の前にいる歌い手の力を最大限引き出す気持ちの余裕が生まれます。本当に心地よかった・・・。

演奏後は素早く着替えを済ませ、客席へと急ぎました。座った位置はステージサイド。
島根のフィオーリの演奏。指揮者は直前に替わったらしいのですが、いやー見事な指揮!
音楽を引き出そうとする意図が指揮ぶりから理解でき、奏者も一体となって非常に訴えかけの強い演奏となりました。ピアノとのバランスが悪いように思えましたが、あのホールは多分、ピアノ位置が最も響かないのね。どの団体もそう聞こえました。
そして最後はEST。ブラームスは子音がよく聞こえなかったですが相変わらずよく鳴る演奏でバスの響きはうらやましかったです。自由曲はシンポジウムでも聴いた鈴木作品。そのときの演奏よりははるかに充実した出来でした。新しい日本の作曲家による現代作品を世に問うという大きな課題を自らに課し、それを演奏家としての「責務」であるといわんばかりに果敢に取り組まれる姿勢には頭が下がります。私たちとは随分意識に差があるよなあ。

全国コンクールでは本当に響きの素晴らしいホールで歌えることが多く、そのことだけでも全国に行くことの魅力は語ることが出来ると思います。スタッフの方々のお気遣いがうれしく、ほんとに気持ちよく演奏のステージに臨むことができます。ベストコンディションで歌えることの喜びは、日常の活動では味わうことの出来ないものです。
来年は熊本。行けたらいいな・・・(ちょっぴり本音)

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  [52] 全日本合唱コンクール 2 高校部門 2005/11/24 22:33:33 

先月末、広島で全日本コンクールの高等学校部門を聴いてきました。
昨年は何かピンとこない演奏ばかりで少しがっかりしましたが、今年は違いました。
心に響く演奏がたくさん聴けました。

音楽を聴くときの姿勢、というか「どんなつもりで」聴くかってことは普段あまり考えたことないのですが、無意識に自分なりの「ポイント」を持って聴いているのだと思います。私の場合、合唱ならまず「声の魅力」そして「ハーモニー感」、「声のブレンド」など直接的に感じる要素を重視していました。そして何よりも重視したいのは・・・「感動性」。これは技術とは切り離されたところにあるものだとは思いますが、もちろん技術の裏打ちなしにはそれは感じ取ることはできません。

Aグループでもっとも素敵だったのは「秋田北高校」でした。特に課題曲がすばらしい!指揮者の生き様を感じる演奏・・・とでもいうのか、とにかく表面的でないんです。ブレスの前に全員が「女として生まれてきた宿命」(少し大袈裟?)を感じているのがわかるような演奏。とにかく泣けました。
Bグループでは浦和第一が秀逸。去年も素敵だな、って思ったんですが今年は東北勢と比較しても圧倒的に素晴らしかった。声の「温もり」ってものがあって、これが女声合唱、いや女性合唱だな、って。
あと、話題の宮崎学園は・・・確かに女声と男声の響きのマッチングが良くなくって、にわか作り的な部分がありました・・・・。
いや待てよ、「にわか作り」って何で知ってるんだよ・・・。そういえば広島に行く前日、話題に乗り遅れたくなくって、録画しておいた例の番組のビデオを観ていったから、か?
なるほど巷の評価も完全に二分してるよな・・・。なんだよ、おい、先入観?、それって?

冷静な気持ちで聴きました。「生きた音楽」という意味では素晴らしい演奏でした。課題曲の第一声から音楽に引き込まれました。演奏上のキズもたくさんありましたね。張り切りすぎた面も否定できないと思います。しかし、良かった!そう「感動性」がありました。
審査員の先生方は大変だったのではないでしょうか。しかしそれでも宮崎学園が金賞に値する演奏だと評価を下したことに敬服いたします。あの演奏を聴く中でさまざまな「先入観」が聴く人の耳を狂わせたのではないでしょうか。参加校すべてのドキュメント番組を作れたらそれはどれも素晴らしいストーリーになるはず。そうなればすべての演奏をもっと「感情移入」して聴くことになるのではないかな?

「この団体は去年は金賞だったから」、とか、「選曲がいつも○○だから」、とか、ましてや「この学校は県でもトップクラスの進学校だから」(過去にハーモニーの講評にありました)とか、とにかく「今、そこから聞こえてくる音」とは無縁の条件でまずランク分けしてしまってはいないのかな?と疑問になりました。

私自身も、そしてシェンヌの演奏も、今どのような状態なのかを「客観性」をもって聴けているのだろうか、とすごく心配になりました。しかしそのことで自分たちを見直すきっかけを持つことができました。「訴求力」そしてそれがもたらす「感動性」。漠然と「熱い演奏」とかではなく何故そうなのかを追求する姿勢を団員とともに考えて行きたい欲求に駆られました。

あれ、一般部門の話からはずれちゃったな。感想などはまた次回に・・・。

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  [51] 全日本合唱コンクール その1 2005/11/22  

昨日、新潟から戻りました。今年の新潟はそんなに寒いとは感じなかったなあ。
新潟は今回が2度目です。その時はもっと凍えるような寒さだったと思うんだけど・・・。

17年前、私がまだ大学を卒業して2年目の頃、寝台列車に揺られて早朝の新潟駅に降り立ち、そこに出迎えてくれたのは高校の後輩で、当時新潟の大学で学んでいたO君でした。彼の下宿で彼の大学の合唱仲間と鍋を囲み、近くの酒屋でもとめた地酒を酌み交わし熱く音楽を語り合ったあの夜。なぜか忘れることのないこんな思い出でさえ、今の自分の合唱への想いをじっと底で支えてくれているのだと今ではしみじみ思います。

17年前は合唱コンクールを聴くために新潟へ行ったのですが、今回、その同じ場所で、まさか今度は歌う立場で再び地酒の味に酔いしれることができるなどと、夢にも思わなかった。
16年ぶりにその思い出の地で歌い手としてステージに上がったO君は、卒業後、合唱をするために関西に戻りずっと歌える環境を求めて生活スタイルを変え続けるほどの合唱馬鹿。そしてシェンヌの男声を牽引し続けてくれる頼もしいヤツです。

それにしても素敵なホールでした。ステージを客席が囲む形になっていて、ホール内の大きな空気のかたまりをみんなで共有しているような感覚があります。しかしちょっと困ったのはステージのほぼ真横よりまだ更に後方まで客席が埋まっている状態で、指揮をする私の視界に客席の人の姿が入ってしまうことでした。いつもは背中しかお見せしていませんが、前から見られちゃうと・・・いや別にマズいことはないのですが、ね。(たぶん)


毎年書いていますが全国コンクールでは「歌いたい」という気持ちがまずあって、そして当然練習は充分だから今更不安に感じる要素も少なく、だからとても気持ちよく演奏できます。聴いてくださる方々の姿勢もすばらしいから、もちろんコンクールとしての独特の緊張した空気はあるものの、逆にそれすらが心地良いと感じることのできる、一年で一番好きな瞬間です。

演奏はまずまず満足できました。何をもって満足と言えるかはそれぞれに感じ方が違うと思いますが、少なくとも「練習通り」に歌えることが満足なわけではありません。本当の満足は、日々の練習を含む様々な取り組みにおいて、頭や身体や心にすり込まれていったものが、たった一度きりしかない本番の集中力の高まりのなかで「ひらめき」となって現れることなんじゃないかな、と思います。言い換えれば「結晶」。そしてそれが生きた音楽の証。

打ち上げは楽しかった。若い学生たちの言葉をきいて、浮かれることなく純粋な気持ちで歌っていこうとする彼らの姿勢には頼もしいと感じたし、誰の口からも、しっかり現実を見据えた話が聞けたことは本当にうれしかったな。今の状態が際限なく続く「バブル」はないんだから。今だけが良かったらそれでいいんじゃないんだから。1年目の人にも、23年目の人にもシェンヌとの歴史と音楽への想いがある。確かにある・・・そう確信しました。

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  [50] 関西コンクール 2005/10/11 17:20:09 

関西合唱コンクールが終わりました。
結果は金賞で全国への推薦をいただくことができました。ありがたいことです。
関西(一般)は府県予選がないため今年のAグループへの参加団体は30団体!審査発表が終わったのが9時半。それでもまだ翌日にお母さんの部が残っていてそれも含めての代表選出なので、2位だったシェンヌは夜も眠れずひたすら飲み続けたのでありました。
2日も続けて発表の緊張を味わえたわけですが、前日の飲みすぎがたたって胃がキリキリ・・・。で、何とか代表に選ばれてほっとした気持ちでやはり祝杯。
なんのために歌うのだろう・・・の答えのひとつに「飲むため」っていうのは含まれていません、というと嘘になるだろうなあ。

演奏そのものは納得できる出来でした。課題曲にブラームスを選択したのはAグループではシェンヌだけでしたが、30人の規模にふさわしい演奏を心がけました。
自由曲は2曲。1曲目はシュテンハンマーの3つの合唱曲から「九月」、2曲目はバークリーの「Judica Me」。相変わらずの地味めな選曲です。デンマーク語の重さは声の響きまでをも変えてしまいます。Judica Meは神殿を支える柱のような重厚で敬虔な音楽。土台の基礎から造り上げるような曲作りが求められ、苦労はしましたが練習は楽しかったです。

今回ベースのメンバーが増え、そのために音程のブレ、音色の乱れがでたのでずいぶん時間をかけて調整しました。前日の練習でも同じことを繰り返してしまう状況にイライラしてしまって申し訳なかったです。でも本番には何とか間に合いましたね(笑)。

毎週のメインの練習は土曜日の18時から22時まで。それでも仕事や家庭を持つメンバーが時間通りに集まれることは極めて難しいことです。18時過ぎに最初のウォーミングアップが始まります。場合によっては時間差ではじめたパートのために1時間後にもう一度発声をします。さらに夕食休憩(この間に練習場である教会では礼拝があります)を挟んで20時から再再度の発声。しかしこれ以降に参加する団員に対しての発声練習はできません。でもって、みんなの喉が温まるのが終了間際ってことになるわけです。

当たり前のことですが、練習に一番必要なことは「同時に全員で」練習を始めることだと思います。そんなことは過去に一度もないわけですが、とにかく人の集まらない練習ほど楽しくないものはない。次に大切なことは「毎回変化できること」。そしてさらにその変化を「体で記憶すること」。
しかしこの当たり前のことが実は理想であったりするわけで、現実はキビシイ。
不足している分は無駄とも思える反復練習で補い、忘れた「記憶」は指揮者の渇っ!で思い出させる。
出来ないことを思い知り、自分に今できることを見つけ出す。この鉄則を真摯に守り、それを徹底する努力を練習に持ち寄れば少なくとも「後退」はありえない。
紙一枚分の厚みでもいいから昨日の状態の上に今日の状態を重ねていく姿勢を互いに感じられる練習ができないものかな。これは「理想」なんかじゃないと思うんだけどな。

同じAグループを一位通過したアンサンブルVineは10回の練習で本番に臨むんだそうで、シェンヌはおそらくその○○倍も練習してるけど・・・。必死になってやり続けないと追いつけないのって、ちょっとカッコ悪いけど今はこれが現実。

しかし与えていただいた5回目の全国コンクールで私たちにできることは、私たちにとっての最高の演奏を目指すことです。できることぜーんぶやり尽くして本番の緊張を楽しみましょう。
そしてその後には楽しい飲み会が待っとります。。。。

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  [49] 夏休み、忘れもの 2005/09/09 15:39:38 

9月、新学期。
合唱盛りだくさんの夏は、その慌しさゆえに一気に過ぎ去った感じがします。
次のステージは関西合唱コンクール。夏のスケジュールが立て込んでいたので秋のコンクール準備がずいぶん遅れてしまいました。
選曲。迷いに迷いました。やっぱり優柔不断だわ・・・。
課題曲はMoutonに決めていたんだけど、某合唱団の演奏会を聴いて8月に突然、Brahmsに変更。楽譜見たときは6声だし、音楽もちょっと重い感じだし、って思ってたんだけど、もう一度、ロマン派が歌いたくなりまして。シェンヌのみなさんには、心からごめんなさい。と言ったその口が2週間後には「自由曲変更」を告げていた・・・。
前から歌いたかったシュミットのモテット。演奏時間の都合で泣く泣く諦めることになりました。重ねてごめんなさい。
代わりの曲は・・・ま、これも結構いいかも。ね、いいよね、これも・・・ね?
そんなこんなで、今は週3回の練習を強いられることになったシェンヌのみなさん。
とってもごめんなさい。。。

遅れを取り戻すためにも、という理由で7年ぶりに2泊3日の合宿をしました。合宿は集まらないと意味がないし、逆にテンション下がってしまうこともあるし、と心配していましたが、ピーク時にはほぼ全員が集まることができて、とても充実していました。時間をたっぷりかけてできる練習は、普段の練習では出来ないこともできてとってもラッキー!一人ひとりの声を聴いてアドバイスできたし、ディクション練習もたっぷりできました。
10月下旬に団内のアンサンブル発表会を予定していますが、やはり団員数が何人になっても一人ひとりの声の影響力って大切に考えていかないとな、って思います。
新しく入ってくれたメンバーの声を一度もじっくり聴けなくて今まできたことを後悔したし、大丈夫だろうと安心しすぎて古くからのメンバーの声をチェックを怠っていたことも反省しないと・・・。うちはボイトレを置いていないから、練習時間内で声作りの時間を捻出することの難しさはあるんだけれど、それは私がすべてのパート練習に入ることで解決するはず。
人数が増えて、本番の数も増えて見失っているものがきっとある。今がそのチェックのときだなと思います。今すぐでもできること。時間がかかってもしなければならないこと。
ステージの数を減らしてでも取り組まなければならないことがきっとあると思います。
目指すものを追いかけて、足元が見えなくなる・・・スランプ。
「でも、気付くことができてよかった。」と思えるように頑張らんとね。

そうそう、お盆に出雲で聴いたJuriの演奏。人数からは到底想像できない圧倒的な響き量。観客一人ひとりに対して歌っているのでは、と思えるほどの直接的な説得力。そして指揮者藤井先生の右手に絡みつくような指揮と音楽の見事な一体感、そしてその濃密なこと。昔、コンクールで聴いて以来でしたが、やはり今回も胸の奥が局所的に熱くなる感覚を体験しました。形容のしかたはもっともっとあるんだろうけど、わたしはその言葉を持ち合わせません。でも聴き終えたあとの、すぐにもう一度出会いたいような、それでいて何だか少し切ないような、そんな初恋にも似た気分にさせてくれる合唱団を私は他に知りません。「目標」にするのも憚られる、あれはまさしく「鑑賞」するための音楽です。

・・・夏休み、終わっちゃったな。子供の頃の思い出はなぜか夏休みの情景が多く、8月の終わり頃になるとちょっとだけノスタルジックになっちゃう。そう思っていたら、とあるHPの掲示板に、昔コンクールで安積女子が課題曲で歌った「忘れもの」のことが書いてあった。懐かしいなと思って探してみたらCDはすぐに見つかって、聴いてみました。
思い出は美しく作り上げてしまうけど、CDから流れるその音は当時のまんま。
逆にその音楽を聴いて美しくない記憶までも蘇る。心の奥底に写りこんだ音楽。
誰かの胸の奥底にいつまでも残る、いつかそんな演奏がしてみたいな。

安積女子の歌声が少し幼く聴こえる・・・田中瑤子先生のピアノ・・・。目の奥が熱くなる・・・。

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  [48] この、夏B 2005/08/25 16:25:20 

「宝塚国際室内合唱コンクール」8/6,7

財政上の都合でやむなく隔年開催となってから初めてのコンクールでした。昨年は常連の有志団体によってコンクールの存続を願い、「フレンドシップコンサート」を開催し十分にこのコンクールの必要性をアピールできたと思います。ま、金賞受賞の経歴をもつグループばかりの中で、銅賞しか取っていない私たちが仲間に入れて頂いたという「何かの間違い」はあったわけですが、「これで今年のテープ予選落ちたら洒落にならんなあ」ということで、もちろんその危険性の大きいOAK シンガーズ(男声)の参加は見送り、女声と混声の2部門に応募し、何とかどちらも本選に出場できました。

今、我々のグループの登録人数は32名(休団者は含みません)で、男女比もちょうど1:1です。混声合唱団として選曲や表現手段の幅を考えるとちょうどいい人数だとは思っています。しかし困ったことはコンクールの人数制限です。連盟のコンクールはAグループの上限ぎりぎりで、ま、何とかセーフですが、宝塚は上限20名。女声は全員出場できますが混声が・・・。こういう場合の考え方って様々なんでしょうが、何かを我慢しなければならず辛い思いをしてしまいます。次回からは参加の仕方について再考しなければなりません。
しかし一方では人数が増えたことによるマイナス面、つまり曲作りの中で細部にまで目が(耳が)行き届かないことと、個が埋没してしまいかねないことを補正する取り組みとして、その必要性をここ数年は強く感じていますので、その機会を無くしてしまうことはちょっと・・・という思いもあります。

コンクールの結果は女声が選外で混声が銀賞(初)でした。混声は翌日の入賞団体による演奏会にも選んで頂き得難い経験もできました。第5回に初出場して以来の夢でしたから・・・。うれしかった、本当に。
しかし女声は消化不良ぎみでした。練習を十分に確保しなかった私の責任です。さらに言うならば選曲ミス・・・。翌日行われる全審査員から直接5分間ずつお話をうかがえる講評会では厳しいご指摘を受けました。「言われて当然。」という内容から、「なるほどー」と納得させられること。そして全く気づいてもいなかったことへの指摘。確かにすごくショックなんだけど、繰り返し考えていくとものすごく「よく解る」んです。そして課題がちゃんと見つかる。
そう宝塚のコンクールでは毎回そう思うのです。文字でなく言葉で直接、ここがダメだ、って叱っていただけることの有り難さ。そしてもちろんコンクール自体のクオリティの高さや、客席との近さ(もちろん距離ではなく)、またここに帰ってきたと思えるアットホームさ、ホールの響きのすばらしさ、コンクール後のレセプションでの交流・・・。挙げればキリがないけれど、やっぱりここが私たちの原点だな、っておもいます。

そして、また新たな課題を見つけることができました。「もっと勉強しろ!」って喝を入れられたみたいで気持ちが引き締まります。
銀だから、とか選外だからとかメダルの色で一喜一憂してたんじゃ、結果だけを見て自惚れて、落ち込んで・・・。これこそがコンクールの最大の弊害だと思います。
宝塚のコンクールはそうじゃない。だから好きなんです。だからまたあの場所で暑い夏に歌いたいと思うんです。

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  [47] この、夏。A 2005/08/20 17:06:03 

「コミュニティコンサート in 奈良」(7/31)
合唱シンポのちょうど中休みの日。会場はJR奈良駅前に位置する「なら100年会館」中ホール。お話を頂いた段階ではカナダのプロ合唱団と、三重のご存知ESTとの3団体によるジョイントコンサートということでした。ESTさんとは比較的お近くのグループでもあり、また宝塚のコンクールなどで色々とお世話になりっ放しのお付き合いをさせていただいています。昨年のフレンドシップコンサート以来のジョイントとなります。

さて、カナダ。さぞかし都会的な香りがするんだろうな。いかにも上手そうなイメージ。ジャズなんかもサラッと、ビシっと決めちゃうんだろうな・・・そんなイメージ。「おい、カナダ人ってフランス語も話すんだよな?じゃ、フランス語の曲、歌ったらいつもの出鱈目な発音、ばれちゃうんじゃないかい?」「おお!やばいやばい!じゃとりあえずは絶対ばれない日本語と、それから、エーと、じゃラテン語ね・・・あとは英語なら大丈夫かな?」「おい、バカ!英語、もろ、アウトじゃん。」そんなくだらない問答を自分の頭の中でやっていて、なんてレベルの低い発想なんだ!とついつい嘆きたくなるような、そんなイメージ・・・。
で、結局ビビッていたこの合唱団の来日がキャンセルになって、「コンゴの合唱団になりました」って、おいおい、じゃ何語がダメなんだよーー?

ちょっぴり本音を言えば、アフリカの合唱団に変わったって聞いたとき、アフリカの音楽と合唱がどうも結びつかなくって残念な気持ちになってしまっていました。私たちが普段取り組んでいるのはほとんどがヨーロッパの音楽だし、できれば欧米の合唱団と交流してみたいな、と思っていたことも事実です。

でも、結果的にはどこの国の合唱団であろうとよかったのだと思います。
素晴らしい体験でした。前々日には京都コンサートホールでのラ・グラースの演奏に触れ、あの、聴衆を熱狂させるパワーを感じ、コミュニティーコンサートもきっとエキサイティングなものになるだろうと確信しました。
音楽の持つ根源的な魅力。つまり、それは生活の音であり、心の叫び、感情の発露であることを思い出させてくれた気がします。
私たちがあの歌を歌えるはずがないし、歌う意味もないと思います。私たちの知らないところで彼らの歴史とともに育まれてきた音、それはまさしく「音楽」。

打ち上げのレセプションパーティーでの交流も楽しかった。そして最後にその場で歌ってくれた「音楽」を聴いて、なんと多くのものを彼らから教わったのだろうと、感謝の思いでいっぱいになりました。彼らがそれを通して語りかけてくれるもの、言葉を超えたメッセージ・・・いやいや、そんなもんじゃない。
「今、まさにこうして、共に生きているということを実感すること!」

この機会を与えてくださったすべての方々に、心よりお礼申し上げます。

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  [46] この、夏。 2005/08/19 16:15:34 

それにしても盛りだくさんな夏だったなあ。
7月下旬からの世界合唱シンポジウムから始まり、その期間中にはコンゴのラ・グラース、三重のESTを奈良市にお招きしてのコミュニティコンサート。シンポの後半が終われば宝塚のコンクール、そして翌日の入賞団体コンサート。その後は、県内の高等学校4校の合唱部のコンクール前の練習にお邪魔して色々勉強をさせていただき、そのコンクールが終わったと思ったら島根の友達から出雲にJuriが来るからおいで、と誘われて感動的な演奏に触れ、おまけに藤井先生はじめメンバーのみなさま、出雲でご活躍の中学の先生方などなどと楽しく音楽のお話をさせていただいちゃって・・・。

で、結局、たくさんありすぎて何から書いたらいいのか判らなくなって更新が遅れてしまった・・・みたいな言い訳をするんでしょ。ってだれかに見破られてしまっていたりしたりするのですが・・・。

「世界合唱シンポジウム」7/27〜8/3
各演奏会の感想や、講習会の中身についてはあちこちのHPなんかでたくさん書かれていますが、私も(英語が苦手ですが)全日程参加してみました。
学校は夏休みですが、当然教員は出勤が原則。しかし「研修」ということでお許しを得ることができました。
最初は「ま、雰囲気を味わうだけでも」という程度の気持ちでしたが、実際はそんなもんじゃなかったです。
一番強く思ったのは、世界にはこんなにたくさん「真剣に」合唱音楽と向き合っている人がいるんだと気づかされたこと。二番目は、みんな自分の国の音楽・文化に強い誇りをもっていて、心から湧き出す表現の手段を持っているのだと感じたこと。また同時に日本人にはそういうものが希薄というか、根付いていないのではないかと疑問に思ったこと。
たくさん聴いたコンサートはどれもすばらしく、感動的でした。そしてやはり思ったことは、国や地域による声の違いや音に対する感覚の違いが、他の音楽の演奏形態に比べてものすごく多様であったということです。これは合唱音楽の可能性の広がりを示すことであると同時に、それぞれの地域の中で独自に作りだされた、一種の「閉鎖性」の表れなのかもしれません。

とにかく、一人で参加していたのであまり誰とも話す機会がなかったのですが、BGMのように耳元を流れる英語に(分かっているかのように)頷きながら、自分がこれまでやってきた合唱に対する取り組み方や、これから何を学ぶべきか、何を目指すべきかを繰り返し繰り返し考えつづけていたように思います。
行ってよかったのはもちろんのことですが、これが単なる一時的な刺激剤で終わらせてはいけないんですよね。

続きは、また・・・。

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